日付: 2019年1月3日
仕事は薬③ はたらく細胞のように
みなさま明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ご挨拶代わりに、一部のお世話になった方には、せふぃろとの広報誌「せふぃろとのぽぁげ」を送付させて頂きました。
その中にコラム的なものを書いているのですが、せっかくなのでブログには少し長いのですが掲載しようと思います。
ぽあげ原稿2019年1月 はたらく細胞のように
誰かのために(誰かのために) 一生懸命(一生懸命)
あなたも わたしも 必死にはたらいてる
みんなのために(みんなのために) 命がけだぞ(命がけだぞ)
プライド持って 健康第イチ!
僕の今期のお気に入りアニメ「はたらく細胞」の主題歌のサビです。
僕も毎日こんな感覚で働いているので時々出勤途中で歌詞を呟いたりしています。
物語の中では、体内の細胞がもつ免疫や血液循環など様々な機能が職業や技能として表現されており、個々の細胞は擬人化され、赤血球や白血球など個々の細胞がそれぞれの職種に所属する人物として描かれています。
各細胞は個々に特技や性格がありますが、やりたい事や主体的に選んだ仕事の形などはまったく関係なく、その細胞として生れた職業や技能を、どこの誰だか分からない身体の中で一生懸命果し働いている姿は、働くことの本来の姿をこのアニメは思い出させてくれます。
でも、ふと最近のご時世を顧みると疑問を感じました。アニメ好きの中で少し流行っているこのアニメですが、「やりたい事」や「自分らしい」仕事を求める世の中で、なぜ共感を得たのか少し不思議だったのです。
「ナンバーワンよりオンリーワン」、「自分らしいやりたい仕事」をすることが幸せだという風潮には疑問で、プロスポーツマンや芸術家などの例外はありますが、僕は仕事に対して「やりたい事」や「自分らしい仕事」を求めるようになったのは、国民が苦し紛れに出した「幻想」故のものだと思っています。
そもそも職業意識は時代によって変化しています。江戸時代末から現代に至るまでのヒストリーを振り返ってみると、おそらく江戸時代ぐらいのムラでは、ムラ内の慣習や風習によって、やるべき仕事の枠組み(職・業)が意識されることなくなされ、生きる為の生活や仕事が当たり前のように一致しながら生活していたのです。例外もあるのでしょうが、さしずめそうだと思うのです。
明治以降も国家と個人という関係性が強化されましたが、しばらくは国家が成立した後も、ムラ社会的な集団心理によって大体はやるべきことが個人個人ほぼ選択することなく決まっていたわけです。その様な状況の中、「国家-ムラ」という集団心理の中で富国強兵という幻想を抱き、戦争を繰り返し敗戦したのですが、その時の職業意識は今のような個人的なものでなかったはずです。
職業意識は戦争が終わってからも少しずつ変化していきます。戦後は経済成長によって国を豊かにすること、その仕掛けとしての終身雇用、年功賃金による、ムラ社会からカイシャ社会への転換がなされます。併せて良い大学に入って、良い会社に入れば幸せになれるという学歴社会の神話により、個人がやるべき事を今ほど見つける必要はなく、幸せの形は、そこでも社会から与えてもらったのです。ですがバブルの崩壊、高度経済成長が終わり、国民共通の幸せの形(幻想)を失ったので、個々の国民が一人ひとり幸せの形を考える必要がでてきました。それを欧米は主体性をもった自立した個人、いわゆる個人主義の確立によって解決しようとしてきました。個人主義を宗教的な背景や少しずつ自ら獲得した欧米に対して、日本においては歴史もなく上滑った形で輸入した個人主義のもと現代になり、消費社会によるコミュニティが形成され、人の為、社会の為、「やるべき事」は、まるで国家や資本家が個人の自由を制限するイメージがもたれ、日本では仕事が本来の人としての使命(職)の意味が意識されることがなくなってきたように思います。
そのような中、時々、何か共通の意識としての幸福を示す必要があって、「自分らしいやりたい仕事」をすることで実現できる。などという幻想を生み出したのではないかと穿ってみているのです。
僕らの就労支援の仕事においても「自分らしいやりたい仕事」を支援するというのは、就労支援を生業にする僕らにとっての苦し紛れに見出した方便だったのかもしれません。
地球を1つの生命体として考えると、人間はひとつの細胞みたいなものですが、わりとよく考える細胞です。独りで、あなたの生きる使命は何ですか、あなたは社会の安寧や幸せに対して何に貢献できるのですか?貢献すべきですか?難しく考えると、「生きる意味とは?」という過去の偉人達も問い続けた深い疑問に突き当たりだれもが路頭に迷います。おそらく現代の人の営みの根本的な苦悩なのです。
集団主義的な日本人にとって、個人主義の責任を背負っていく現代は決して楽な時代ではないのですが、方便もほどほどに、現実を直視し「はたらく細胞」のように、日々できること・やるべきこと、人の為に何かをしていくこと、そのように働くことが「職」を果たすことですし、「就職」という事だと思うのです。
今後の就労支援は、共通の幸せの形を失った中で「職・業」の枠組みを再構築しそれを取り戻す作業が「就労支援」そのものなのだと考えています。
坂根 匡宣