日付: 2019年3月3日
ケースのアセスメント能力と専門職集団幻想
ケースのアセスメント(見立て)の善し悪しやそのスキルをどうのこうのとソーシャルワーク専門職たちが、批判しあうシーンを見かける。僕もそれなりに批判される事もあるし、他人の見立てに首を傾げる事はしばしばだ。
そんな見立てと見立てを対話で重ね、合意形成をはかりながらソーシャルワークは展開される。
合意しやすくするために、ソーシャルワーク理論(アプローチ)や倫理綱領を持ち出したり、アセスメントツールを使ったり、有能なスーパーバイザーに助言を求めたりする。
でも、どんな有能なソーシャルワーカーがいても、集まって対話しアセスメント(見立て)してもケースの見立ての正しさの根拠はラディカルには存在しない。
では正しいとされる見立てはどんな構造のものかと考えつきつめていけば、それは支援者・専門職どうしの集団幻想に過ぎないことがわかる。
そしてそれは権力として作用する。
ソーシャルワーカー自身がケースの正しい見立てをしたと思った瞬間、それはケースに対し権力を行使したという事である。
もしその支援者集団が見立てを同様に考えて支援したならばクライエントに権力を行使したという事である。
坂根 匡宣