一般社団法人ダイアロゴス

blog blog

日付: 2025年4月29日

多様性との共存を考える8 悩む過程の価値について

ポリフォニー支援員の田上です。

皆さんは人が羨ましくなることはありますか。

世の中には自分にないような素晴らしい才能を持った人がたくさんいます。勉強ができたり、スポーツができたり、それらを極める選ばれし人たちは研究をして多くの人を救う薬や治療法を見つけたり、人々に感動を与えるような選手になったりします。そのような人たちに対して私は羨ましいという気持ちは生まれません。なぜなら才能に差がありすぎて、努力してもそこに到達できないという諦めがあるからです。そういった選ばれし人たちを違う場所から見て、心の底から応援し、元気や勇気をもらうことができます。

私が羨ましいと思うのは、自分のやりたいことが明確にあり、それに沿って行動選択をしている人です。私は社会福祉士の養成校に通う間、自分のやりたいことを見つけたいと思いいろいろな施設を見学したり、話を聞いたり、少しでも興味があることに対して自分なりにアプローチをしてきたつもりです。

しかし、これだという運命のような仕事には巡り合いませんでした。ルフィが海賊王になりたいと願うように、人生の命題のようなものを仕事から見出したいといつも願っている人生のような気がします。そのような命題が見つからなくても、仕事は始めなければなりません。正直な話、会社のブログに書くことでもないかもしれませんが、「とりあえず」で今の仕事を選んだ部分もあります。(もちろん決め手があったから選んでいるのは確かです!と少しだけフォローしておく)仕事を始めて3年がたった今の方が、利用者さんと関わる中で働く動機が生まれ、このためにという目的を明確に話せるようになったと思います。

物事を推進するエネルギーは怒りや悲しみ、嫉妬など大きなマイナスのエネルギーであることも多々あります。私が一番仕事のことを考えていたのは新卒1・2年目だったと振り返って思います。明らかに先輩に迷惑をかけていて、時間を使ってもらっていて、それがとても辛かったので抜け出すには戦力になるしかない、早く迷惑をかけないようになりたい、足手纏いを脱却したいと強く思っていました。

今の私はその時のような強いマイナスのエネルギーがありません。私生活も仕事もそれなりに充実していて、それなりに学べることもあって、信頼をされていると感じる瞬間もあります(もちろん、まだまだ反省することも多いですが)。なんとかしなきゃと強く思える場面は歳を重ねるごとに減ってきてしまいます。

やりたいことが見つからないという状態は苦しく、別にもう見つけなくても今普通に仕事をして、家族や友人も大切で、生活も楽しくて、それでいいじゃないかと自分を納得させようとしていた時期が実は結構長くありました。しかし、振り返ればやりたいことを何か見つけたいという気持ちでいろいろな人の元に足を運び、話を聞いていたその過程で多くの学びがあったことに気がつきました。もしかしたら、今後も思い描くような人生の命題は見つけられないかもしれません。でもそれを探す過程に意味があるものと認めようと最近思うようになりました。今のままで、悩みたいだけ悩み、その過程で多くのことを学び、できることをしていく。でも結局見つけたいものは見つからない。

なんのために生まれて なにをして生きるのか こたえられない なんて

アンパンマンには「そんなのは いやだ!」と言われても、実はそんな人生もありなのかもしれません。

田上(ポリフォニー・社会福祉士)