一般社団法人ダイアロゴス

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日付: 2019年2月21日

仕事は薬④ ぼちぼちワーク2.0

最近は日本の大企業の中で、品質検査データ偽装事件が相次いだ。日本の製品のイメージは外国製に比べ品質が良く、しっかり見えない部分まで作り込まれている印象で、とても安心感があった。サービスにおいては「おもてなし」の心として受け取られた。それはおそらく戦後の雇用慣行により労働時間を投入・転嫁して製品の品質を上げてきた事も1つの要因としてある。

品質の良さがブランドイメージとして会社の利益に寄与している内は労働者の仕事に対するプライドを高め、おそらく社員の幸福度も高めていた事だろう、人々は会社人間となり、ますます労働時間が長くなっていき90年代前半ぐらいまでは「24時間働けますか?」と企業戦士達がたくさん登場した。

しかしその手法がグローバリゼーションが高まる中、国際間を含めた市場競争の中で上手く機能しなくなると、相対的に労働生産性は下がり始め、高すぎる品質は経営上「過剰品質」となり改善項目と受け取られる。利益を優先し商品に拘っていられなくなる。そうなると社員のプライドは維持できないし、ワーク・ライフ・バランスを考えると労働時間を減らす必要性にも迫られ、高品質な商品を提供するビジネスモデルは非常に難しい経営を迫られているのが今の現状だ。
今は昔みたいに根性で働けばいいというものでもないし、かと言って自分本位に楽しく働くのも行き着く先はワーキングプアを生んでしまうだけだ。

この様な中で、僕はゆったりその人らしく働く「ぼちぼちワーク」を推進し、マイペースで働きながらもプライド(誇り)や尊厳をもてる職をつくる事を目指してきた。
「ディーセントワーク」とも言うのかもしれないが、「ぼちぼちワーク」と言った方がなんだかゆったり心地良い。

僕の就労支援活動として、リーマンショック以降、貧困に陥った家族も多く出て、そのような家族では、ひきこもりやニートを包含していた機能をを果たせなくなると、若者の生活困窮者が浮かび上がってきていた。一部のひきこもりやニートの中では行き場を失った。まずは居場所を作るために、僕はバリバリ働く事と福祉的就労の中間にあるような第三極を目指した時期があり、「ぼちぼちワーク」的な支援は景気低迷による混乱期による機能としては、目立ちはしなかったが、自分なりには一定の成果を上げたと思っている。

今、混乱期から課題は移り変わり、民間と福祉の間にある、いわゆる「中間的就労」もやっと一般化に向けてスタート地点立ったような印象だ。
新たな就労支援上の課題に追われている中で、そろそろ「ぼちぼちワーク2.0」を考えていかなければならなくなった。就労不安定な方への支援をしていく中で、ゆっくりマイペースに働くには、福祉的な就労支援の中に非常に高い「労働生産性」を獲得することが不可欠なのだと改めて痛感している。
ここで言いたい「労働生産性」は金銭的な売上げや利益を上げるだけの概念ではなく、それを含んだ形でソーシャルなミッションに対して、いかに貢献できているかがソーシャルセクターにおける労働生産性で、そういう意味での「労働生産性」を高める方法を模索する事が「ぼちぼちワーク2.0」実現のこれからの鍵になるのではないかと思う。

来期は、第三極としての就労のあり方を求めてきた時代から、「社会的な意義・価値ある活動の生産性を含めた労働生産性」にこだわり、「ぼちぼちワーク2.0」の活動をしっかりと進めていきたいと思う。