一般社団法人ダイアロゴス

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日付: 2019年1月24日

自己覚知③ マージナルな立ち位置とメタ認知

前回までの自己覚知への理解を再度整理してみる。

①自己覚知とはクライエントの自己認識ではなく、対人援助専門職としての自己認識・自己意識性の事であること。
②自己覚知には「専門職業的自己覚知」と「個人的自己覚知」(あくまで対人援助職として関わる際に影響する個人的自己認識)に分けられること。
③自己覚知は実践において学ぶことの方が多いということ。自己覚知を深めることの重要性が伝えられ、自己覚知を深める取り組みは対人援助職の専門職教育の中で取り組まれてはいるが教育システムの問題やスーパーバイズを受けられる環境が整っているわけではなく効果は限定的で、実際は各々が実践ケースでクライエントと関わり、内省することによって得られ深められる。

ということは、対人専門職が専門職業的かつ個人的な状況によって、自己覚知は現実的には実践ケースの中で深められていると考えると、実践ケースにおいて専門職自身が、いつ、どこで、何を、どのように考えているのかを明確に考察していくことが、自己覚知を実践に活かしていくことにおいて必要なことのように思える。

対人援助職の実践的場面というのは、クライエントと接していたり、環境調整していたり、ひとりで実践を振り返っていたり、はたまた余暇や日常生活を送る中で自分の実践をふと気づいたりと様々な場面がある。場面設定があまりに広がりすぎるので、ここは一旦、クライエントとの面談場面と面談を振り返る際の状況に絞って考えてみたいと思う。

自分という存在は、ひとつの価値感で固定されたものではなく、職を離れると、ひとりの生活者としての価値をもった自分であり、それは専門職業的価値感をもった存在とは言えない。構造化されたクライエントとの面談では、現実にクライエントと面接している自分(認識)とそれを観察している自分(メタ認知)に分離させる必要がある。

自分と観察している自分を行き来しながら自分をモニタリングし、マージナル(境界)な場所に立てているか、自分自身の価値感覚が偏っていないか、自分がどのように見えているのかなど、クライエントへの共感的な関心を失わないようにしながら行っている。

場合によっては、それは所属機関での役割に応えるように振る舞う場合もあれば、敢えて役割とはズレた応答をする場合もある。

面談が終了したのち、まるで将棋の感想戦をするみたいに、頭の中で、自分の振るまいと言葉とクライエントの言葉、様子などを思い出しながら振り返る。

少し時間を置いて、睡眠に入る前などや、途中覚醒した時などは、クライエントへの新たな発見や新たな自分を発見することが多い。

それはセルフ・スーパービジョンのプロセスと言える。

このクライエントとの面談と振り返りのセルフスーパービジョンのプロセスが自己覚知を深めることにおいて重要で、より詳細に考察していく必要がある。

 

ワーカーが自分自身をリアルタイムにどのように自己認識しているのかという事

他人(他者)との対話が必要。

人は本当のことを言えないし言わないので、精神分析や心理検査なども参考になる。

マージナルな立ち位置

構成主義的な世界観

全ての認識している現実は存在しないか、全てが同価値で存在しているということ。

ただそこには、社会の共同幻想があり自らもそこに位置しながら幻想を内側から解体しクライエントが共同幻想と協調出来るポイントを探り調整をはかる必要がある。

例えば、「反社会性人格障害、サイコパスと言ってもいい、そして性的には幼児性愛のクライエントがいるとする。クライエントは幼児に対する性的暴力で起訴され実刑となり刑期を終え、ソーシャルワーカーは、今後クライエントが生活していく環境調整を依頼され面接した。」とする。事件の内容はソーシャルワーカー自身の価値観においては許されるものではなく、嫌悪されるような事件であった。そのようなクライエントと関わる時にも、自分の価値観を一旦棚に上げ、さらに被害者の存在を敢えて無視すると、生物的に人間の本性としてそれは善い悪いで判断出来るものではない(非審判的態度)という所まで自分の立ち位置を一旦置く必要がある。

当然ながら自分自身の価値観を完全に捨て去る事もできないし、被害者意識を踏まえながら支援していくことになるので、ソーシャルワーカーの立ち位置も微妙に変化させ、その位置から社会と調和をとる方法を考え呻吟するのがソーシャルワーク専門職としての自己認識(メタ認知)となる。

坂根匡宣